nazuna_antique ~灯ものの話 その2~

 

 

「明治に入ってガラス製品が安価に作られるようになり、

灯りの道具は 油皿やロウソクからオイルランプへと移り変わって行く」

と言うのが前回までのお話でした。

 

暗闇に光がともるのと同じで、灯りはランプからガス灯、そして電灯へと、

文字通りあっという間に移り変わってゆきます。

明治27年(1894年)に国産カーボン電球が製造されますが、

庶民の暮らしには電気や電灯など到底高嶺の花。

大正頃までは暮らしの中でランプが一般的でした。

小さな町や村では昭和に入っても、まだまだオイルランプが活躍していました。

しかし白熱電球に追われたオイルランプ製造の最後のともしびは、

昭和初期頃までとのこと...。

わずか数十年の間に爆発的に作られ、

その後電灯の輝きの影で見向きもされなくなった小さなランプたち。

今では役に立たぬ小さな灯火にすぎないけれど、

電灯を消して暗闇の中にともしてみると、

「火」というものの暖かさ、明るさ、炎のゆらめきが、

なんと眼に心地よいことか。

ところで、「いつまでも油を売ってんじゃないよッ」って江戸っ子のおカミさんのセリフ。

「油を売る」という言葉よく耳にしたりしますが、

この「油」というのは油皿に使われていた灯油のことなのだそうです。

前回お話ししましたように、江戸期に灯り用に使われていたのは菜種油やイワシやサンマの魚油。

今のようなサラサラした油ではなくて粘着性のあるドロドロしたものだったので、

油屋さんがお客に計り売りする時、ひしゃくから油徳利に注ぎ込むのにやたらと時間が掛かる。

お客さんをお待たせしている間に世間話をして接客しているのを、

ハタからみると何にもしないで無駄話をしてるように見える、

というところから「油を売る」になったそうです。

当時、菜種油は大変高価で米の二倍、もしくは四倍の高値で売られていたようです。

庶民はもっぱら魚の油。においも煙りも凄まじかったはず(笑)。

 

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